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- 翻 刻
- 現代語訳
迄ニ而焼印仕候處、右次第何共恐入千万
奉存候、此旨万端可然様御披露奉頼候、以上、
月日 平良親雲上
口上覚
恐多深重奉存候得共申上候、宮古嶋御
米漕楷船馬艦積穀之儀ニ付、御仕上世座
御規模写御取添、段々被仰付趣奉得其意、
然者、楷船々頭より茂、絃掛斗ニ付而表例仕度
由申出候處、私共申談候者、雍正七酉年
細四斗ニ御改、右斗を以國中取拂方
被仰付、大和舩頭共ニ茂□絃掛斗を以可
相渡旨御取分御差圖之旨趣有之候、
此節之儀、仕上世物渡方表改斤目
しらへ方、尤舛目斤目相例候茂御当地
御規準勤方被仰付候筋ニ而可有之与何
連茂申合、先例之通細四斗を以楷船積穀
[ ]この間に焼印を施した次第である。右の通り、なにぶんにも 恐れ入るばかりである。この旨、万端よろしくお披露くださるようお願い申し上げる。以上。
月日 平良親雲上
口上覚
恐れ多いことであるが、申し上げる。宮古島の年貢米を漕ぎ送る楷船・馬艦船への積穀の件につき、御仕上世座の御規模帳写を取り添えて、色々と仰せ付けられた趣はよく承知している。さて、楷船の船頭らのほうから、「絃掛升で積み目盛りを決めたい」との申し出があったので、私どもで相談したところ、雍正七酉年(一七三二)に「細四斗」に積升を改め、それを基準に国中で取り計らうよう仰せ付けられ、大和船頭らにもその「絃掛升」をもって渡すようにという申し渡しがある。今回の件については、仕上世物の渡し方と表向きの斤目料の調査、もとより舛目・斤目を例として扱うとの御当地(首里王府)の規準を指示していただいた通りにすべきであると、みなで相談したうえ、先例どおり「細四斗」を基準にして楷船へ積穀を渡しておいた。