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餘多罷居候得共、右之者壱人目差役相勤
嫡流之兄弟二人、耕作筆者相勤候迄ニ而
外ニ御奉公相勤候者罷居不申今程及
衰微申候、右目差事ハ相應之勤方も有之
候間、血筋之子孫別段致(被ヵ)思召上何とそ
願之通被仰付被下度私共ニ茂奉願候、
無據一門之儀御座候故難黙止、此旨以申上候
条、何分ニ茂可然様御取成可被下儀頼
存候、以上、
 申
  八月         田嶋親雲上
             野原親雲上
             羽地按司
一筆啓上仕候、貴様弥御堅固致成御勤仕、
去々歳渡唐之才府御役被仰出㝡早
御国元迄御両国之御届首尾能相済、
剰田里之地頭所被成御頂戴候旨致承知

子孫も多数いるが、そのうち目差を務めた者は久貝目差一人のみであり、嫡流である兄弟二人が耕作筆者を務めるにとどまり、他に公務に携わる者はいない。このため(家勢は)今や衰微している。久貝目差は、相応の勤めを果たしてきた人物である。よって、(浦添親方の)血筋の子孫として特別のお取り計らいを賜り、願いどおり与人役を仰せつけていただきたく、私どもからお願い申し上げる次第である。やむえない一門でもあり、黙っているわけにもいかないため、この旨を申し上げるものである。何とぞしかるべく取り計らっていただきたい。
 申
  八月         田嶋親雲上
             野原親雲上
             羽地按司
一筆申し上げる。貴殿はますます健勝にお勤めになられ、一昨年、渡唐の才府役を仰せつけられ、その後、薩摩藩に御両国(清朝と琉球との関係)についての届出も首尾よく済ませられたこと、さらに田里村の地頭職を拝領されたとのことも承知した。
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