三平等案文集 多良間島
資料について
作成年代:同治10年(1871年)。
作成:写本作成者は塩川村嶺間の垣花仁屋(浦渡氏垣花常僚)。
史料の概要:
王朝時代の首里は三つの行政区画(南風の平等、真和志の平等、西の平等)に区分され、1798年(嘉慶3)、各平等に学校所が設置された。その三平等学校所において、学生の勉学の教材となったのが、「三平等案文集」である。大半は、過去に出題された設問とそれに対する解答という形式で全132項目からなる。なお、中には設問が無く、解答だけのものも見られる。三平等学校所で学んだ者たちは国学へ進学し、最終的には首里王府評定所の登用試験(科試)に臨む者が多かった。「三平等案文集」は、その官吏登用試験につながる設問・解答集である。史料の内容は、平等学校所での勉学への督励、儒教倫理、地方や離島行政に関するもの、鹿児島の琉球館から薩摩当局への貨幣流通の要請など多岐に及ぶ。その中で、両先島に関する設問も見られる。例えば、両先島奉公人たちへ文筆の稽(たしな)みを督励する布達について、両先島船々の往来が那覇港へ遅着しないように王府から布達する趣旨について、両先島の習俗において以前から禁止されている諸祭祀を上国した頭から復活を要請する嘆願書の作成について、等々がある。これらの設問・解答を書写することによって、多良間島の役人たちは首里の諸士らと共通の知識を得ていたことが分る。その点においても貴重な史料である。