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  • 現代語訳

  相勤帰嶋
巳年富濱親雲上仕次
一 同三十七辰年、構之杣山見格護筆者
  勤日数三百三拾七日
右同
一 同年、十一月六日、白木綿布三反□□
   附、当春多良間嶋飢饉之時、所々江
    牛弐疋差出、村中之者共江くれ
    飢を救候ニ付、世振引直り候儀
 
    相渡候様役々申渡候処、不及其儀
    合力為仕申出之由、在番頭申越
    有之、殊勝之儀御座候間、為褒美
    右通被成下候事
午年津波古親雲上仕次
一 乾隆三十八巳年、杣山見格護年中、
  勤日数三百壱日
右同
一 同年、多良間嶋波揚之時海垣被引流

  勤務し帰島しました。
巳年に富濱親雲上が認証
一 同三十七年の辰年は、管轄の杣山巡視の筆者として、
  勤務日数は三百三十七日です。
右同
一 同年、十一月六日、白木綿布三反□□
      附、この春、多良間嶋の飢饉の時、所々へ
    牛二疋を差し出し、村中の者共へくれて
    飢えを救ったことについて、飢饉から回復したときには、
   (提供した牛を)受け取るようにと役人らから申し渡されたが、
    それには及ばないと申し出たら、在番と頭から(王府への)
    上申がなされ、感心なことであるとのことで、褒美として
    右の通り(白木綿布三反)を賜りました。
午年に津波古親雲上が認証
一 乾隆三十八の巳年は、杣山の巡視を行った年中の
  勤務日数は三百一日です。
右同
一 同年、多良間嶋で高潮のときに、海垣が流されたので、
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