19ページ目

ページ数:019(全25ページ中)
  • 翻 刻
  • 現代語訳

   数三日
右同
一 同年、仲筋村毎年御用并未進返弁
   用之あたんは筵調下知筆者、七月十九日より
   八月廿八日迄、勤日数三拾五日
右同
一 同年、同村御物穀取〆筆者、六月□日
   七月十八日迄、勤日数弐拾六日
右同
一 同年、多良間船揚卸下知筆者、(十二月)
 
   十八日より十二月廿二日迄、勤日数弐□日
右同
一 乾隆三十三子年、定納布并未進
   返済用之白木綿布調部筆者十二月
   十七日より十二月廿一日迄、勤日数五日
右同
一 同年、仲筋村定納白上布、同下布調(部)
  eq \o\ad(下知、十一月六日より十二月十六日迄、勤日数三拾日,                                   )
右同
一 同年、仲筋塩川両村杣山并海垣針図

   日数は三日です。
右同
一 同年、仲筋村の毎年の御用並びに未進や返弁
   用のあたんば eq \o\ac(\s\up 15(むしろ),筵)の調え下知筆者として、七月十九日より
   八月二十八日までの、勤務日数は三十五日です。
右同
一 同年、仲筋村の御物穀の取締筆者として、六月□日より
   七月十八日までの、勤務日数は二十六日です。
右同
一 同年、多良間船の揚げ降ろしの下知筆者として、(十二月)
 
   十八日より十二月二十二日までの、勤務日数は二日です。
右同
一 乾隆三十三年の子年は、定納の布並びに未進や
   返済用の白木綿布の調部筆者として十二月
   十七日より十二月二十一日までの、勤務日数は五日です。
右同
一 同年、仲筋村の定納の白上布や同じく下布の調部の指揮として、
  十一月六日より十二月十六日までの、勤務日数は三十日です。
右同
一 同年、仲筋・塩川両村の杣山並びに海垣の測量図の
横にスクロールをして閲覧してください