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  • 現代語訳

右同
一 同年、仲筋塩川〆二ケ村嶽之倒
   福木伐取下知筆者、勤日数五日
右同
一 同年、唐芋?敷下知、勤日数拾壱日
右同
一 同年、耕作方下知勤日数百九日
乾隆二十七午年目取真親雲上仕次
一 乾隆二十六巳年、多良間嶋頭数改帳
   勘定并諸事加勢筆者勤日数
   十二日
右同
一 同年、仲筋塩川水納〆三ケ村、取納
   帳并白上布同下布帳勘定筆者
   勤日数七日
右同
一 同年、飛船水納船修補下知筆者、
   勤日数一日
右同
一 同年、手札改人数乗後候楷立船
   揚卸ニ付、下知筆者勤日数四日

右同
一 同年、仲筋・塩川二か村の嶽の倒れた
   福木の伐取下知筆者としての勤務日数は五日です。
右同
一 同年、唐芋?敷の指揮としての勤務日数は十一日です。
右同
一 同年、耕作方の指揮としての勤務日数は百九日です。
乾隆二十七年の午年に、在番の目取真親雲上が認証
一 乾隆二十六年の巳年は、多良間嶋の頭数改帳の
   計算や諸事の加勢筆者としての勤務日数は
   十二日です。
右同
一 同年、仲筋・塩川・水納の三か村の取納
   帳や白上布、同下布帳の勘定筆者としての
   勤務日数は七日です。
右同
一 同年、飛船である水納船の修補の下知筆者としての
   勤務日数は一日です。
右同
一 同年、手札改人数が乗った楷立船の
   上げ下ろしのとき、下知筆者としての勤務日数は四日です。
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